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経営の神様・松下幸之助の最大の失敗

 

経営の神様とも言われる松下幸之助の最大の失敗とは?

 

松下幸之助
経営の神様でも失敗することがあります

 

  

日本の偉人「松下幸之助」

松下幸之助と言えば、日本人ならばご存知の方も多い偉人の一人です。

あらためてwikiを引用する必要もないとは思いますが、

松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。

パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。

自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

 

 

経営の神様「松下幸之助」

経営者となると「どうすればもっとうまく会社が経営できるのだろう」と書籍などから、ヒントを求めようとすることがあります。

私もそうでして、いろいろな本を読み、そして出会った松下幸之助の考え方の中で、以下の考えは、とくに印象深く残っています。

 

松下幸之助の「水道哲学」

水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようという思想

各家庭などに届けられる水道は、そこに至るまでに、相当のコストをかけているわけですが、大量に水を作ることで、リーズナブルに提供できています。

モノも同じように、大量に作ることで、安い価格で社会に提供できる、と、松下幸之助が、水道を見て気づいたという話です。

松下幸之助が起業した頃は、日本がまだまだ貧しく、「大量生産」によるモノの豊かさの実現というのが、社会的な命題だったのだと思います。

 

 

松下幸之助の「ダム式経営」

「好景気だからといって、流れのままに経営するのではなく、景気が悪くなるときに備えて資金を蓄える。ダムが水を貯め流量を安定させるような経営をすべきだ」と語った。聴衆の一人が「ダム式経営の大切さはわかるが、そのやり方がわからないから困っている」として、そのやり方を尋ねると、幸之助氏は「 まず、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」と答えた

 

「ダム式経営」については、京セラを創業された稲盛先生の書籍や講演などでも、登場するテーマです。

会社を、ギリギリの状態にするのではなく、いつも余裕のある状態にしたいわけですが、なかなかそうもできません。

会社に限らず、日常生活の家計などにおいても通じるものがあります。毎月収支がキチンとし、蓄財ができる家庭もあれば、いつもギリギリの財政状況という家庭もあります。

「どうすればそうできるのか?」というのは、誰もその秘訣を聞きたいわけですが、すでに実現している当事者からすれば、秘訣というわけでもなく、当たり前のことをやっているにすぎません。

 

 

松下幸之助の「伝説の熱海会談」

1960年代、不況下で赤字経営に落ち込む松下電器系列の販売会社や代理店が続出。「実情を聞きたい」という幸之助が全国の販売会社・代理店の社長約200人を熱海のホテルに招いて懇談会を開催した伝説の会議。

当初2日間の開催予定が、会議が紛糾し結論出ず、3日間の開催へ。この会議を機に、松下幸之助が、事業体の構造を再編成し、不調の状態から脱却することになります。

この「熱海会談」を、私が覚えているのは、この会談の場所となったのが「なぜ熱海だったのか?」ということが気になったからです。

松下電器の本社は大阪で、その周囲にも温泉地はいろいろあると思うのですが、当時の「熱海」というのは、今のハワイや沖縄のような、リゾート地だったことを思い出させます。

 

 

松下幸之助の「天からの3つの恵み」

私は天からの3つの恵みを受けて生まれた。家が貧しかったこと、体が弱かったこと、小学校までしか進学出来なかったこと。

松下幸之助が、自分が成功した要因を述べるとき、この3点をよく挙げられます。

体が弱いことで出てきたのが、有名な「事業部制」。会社が大きくなっている中、体が弱い松下幸之助が全てを見るわけでにはいかず、事業ごとに経営者をつけて、その事業が一つの会社のように、経営させるようになりました。

また、松下幸之助は、夜に寝れないことがけっこうあり、そんなときは、寝ながら会社の経営のことを考えていたそうで、そういう時間も無駄にしなかったということです。これは「銀座まるかん」の斎藤一人が話していた話です。

逆境の状況下でも、それを屈せず、挑んでいく。ある種のポジティブマインドとも思います。

このような「不」があったからこそ、その「不」を解決する経営を実現でき、「経営の神様」に至ったのではないかと思います。

 

 

雑学:浅草寺の雷門と大提灯は、松下幸之助のポケットマネーで建立

浅草寺(東京都台東区)の雷門と大提灯は、100年近く仮設状態のままになっていたところ、幸之助がポケットマネーを寄進して現在の形に再建された。(1960年)

今、外国人観光客で人気のある、浅草の浅草寺の雷門は、松下幸之助の私費で作られたものです。

もともと、体の弱かった松下幸之助が、あるとき大病を患い、その快復祈願を浅草寺で行なったところ、快復し、そのお礼で、松下幸之助が雷門と大提灯を寄進したのだそうです。

門の間に吊るされている、大提灯の下の金具には「松下幸之助の寄進」の旨が表示されています。

大提灯は、何年かに一度架け替えられ、今でもパナソニック(松下電器産業)が奉納されているようです。

 

 

 

松下幸之助の憂鬱

最近、「松下幸之助の憂鬱」という本を最近読み、そんな経営の神様でも、悩んでいることがあったという内容の話をいろいろと知りました。

 

 

松下幸之助は、創業前、そして創業してからも、さまざまな困難や失敗などを経て、「経営の神様」となっていきました。

しかし、「経営の神様」も万能ではなく、悩みを抱えていたようです。

 

 

後継者に悩んでいた松下幸之助

とくに悩んでいたのは「後継者作り」。

松下幸之助は、幼い頃に、松下家が離散し、兄弟姉妹・両親も早くに亡くなり、天涯孤独となり、松下家での経営継承がしにくい環境でした。

人材は、自分で育てるか、あるいは、M&Aで外の会社を吸収して、対応していたそうです。

 

しかし、 幹部社員は、そのような形で対応できましたが、社長のような経営全般を任せることができる人は、なかなかおらず、松下幸之助が、会長や相談役に退いても、経営に携わるしかなかったのが実情のようです。

この辺は、ユニクロの柳井社長やソフトバンクの孫社長などが、社長を退くと宣言しても、後継者がなかなかうまくできずに、社長業に復帰するのにも似ているように感じます。

別の言い方をすれば、「松下幸之助に頼らざるを得ない経営体制が、ここ数年の松下電器産業(現・パナソニック)の不調の原因ではないか」、そして、その原因は、自分の後継者をきちんと作れなかった「松下幸之助の失敗」と、本では述べています。

 

なお、創業時から、松下幸之助と一緒に活動していた義弟・井植歳男は、戦後に独立し「三洋電機」を創業します。

そして、三洋電機は、2000年以降、経営不振に陥り、2011年にパナソニック(旧・松下電器産業)と合併することになります。(余談ですが、昔、三洋電機に野中ともよ氏が経営したりして、話題になったことを思い出します。あの方は、今どうしているのでしょうか?)

三洋電機がパナソニックと合併された変移を見ていると、松下幸之助と仲違いしたのが、数十年後に仲直りするような感じにも見え、企業にも情けがあるのかと感じました。

 

 



部下を抜擢するときは、運が強いかどうかを見る。
by 松下幸之助

 

 



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